薔薇の花 ―その四ー


ひゅうひゅう〜 ざあざあ〜 
窓の隙間から聞こえる風の音
満開に咲き誇ったあの並木道
桜の舞い散る景色が目に浮かぶ

暑さ寒さも彼岸まで、の口癖も今年は裏切られた。
四月に入っても冬日があったりして、寒暖の差が激しく、桜の花も咲く時を戸惑い、今一つ輝きを失ったようだった。
最近はあちこちで異常気象のニュースを聞く。不安定な天候が、徐々に私たちの生活に忍び寄ってくる。


今日は長閑な日曜日。大きな窓から明るい光。
さあ春も本番です。葉を落としていた樹々の、柔らかな新芽達が目を楽しませてくれます。

歩行訓練

平行棒を使って歩行の訓練をしている。


何しろ、足だけでは歩けないのだから、両手を使って四本足とも云える状態で歩行をする。平行棒を一往復するだけだが、疲れて、脈拍も早くなる。


歩くという動作を失いたくない。その思いで今まで頑張ったけれど、それも大変になってきたようだ。


往きはよいのだが、戻りがしんどくなった。エネルギー切れなのか、足に力が入らずにふらつく。
これは危ない。どうしよう。


今まで、平行棒を目いっぱいに活用していたが、歩行の距離を少し短くすることにした。
「無理をしないで、続けることが大事」
そうね、頑張りすぎてもいけないね。

移乗介助

ベットから車椅子へ、車椅子から便座への移乗を自分で行う。私はこの動作が得意だった。こんな事だけど軽やかに、素早く一人で移乗出来ると気持ちが良い。


「自分で出来ます」今まで施設では手助けをしてもらうことはなかった。
が最近は、そうも言っていられないようだ。

トイレやベットの利用時は、気を付ければ問題ない。けれどマット運動の後は、職員の手を借りないと、危なくなった。こんな些細な動きでも、私には体力と精神力が要求される。運動の後は力も弱まっているのか。


「手を貸して」頼りになる片手の支えがあれば、しっかりと腰も上がり、問題なく車椅子に座れる。


体力を使って疲れているから出来ないんだと、自分に言い聞かせて、自宅では今までどおり、移乗は自分でし続けていきたい。

車窓から ―春の花木ー

ミモザ・コブシ・モクレン
今週 一年ぶりに出会った花々


週中半には真冬並みの冷たい風が吹いたにもかかわらず、自然は着実に春を届け続けてくれています。


最近はリフト車での送迎が多い。リフト車は車椅子のまま乗り込めるので、とても楽。けれども車窓の視界はとても狭い。
車窓から季節の移り変わりや、街中の様子を眺めることが、デイサービスに通う楽しみの一つだった。


私の利用している曜日では、常時車椅子を使っているのは一人か二人。私は普通車の乗り降りに、手がかかるようになった。だからこれからもリフト車に乗るのだろう。


身の回りが、少しづつ狭くなっていく。

白内障

近頃、午後の光りの眩しさに戸惑うことが多い。
これはもう確実に目の老化。


昨年、瞼の炎症で眼科を受診した時、当時、物が少し霞んで見えるようだったので、白内障の検査をして治療を始めた。おかげで、目の霞みはそれ以上にひどくなってはいない。白内障が進み手術になるなどは大変そうだし、行動範囲の狭い私には必要性もあまりない。


新しく出てきた、眩しいという症状。これには必要ならばサングラスで防御すればよい。


今まで、明るい光りには沢山のものをもらってきた。心は解放され、大きく広がる。希望、エネルギーが私を包む。この光りが遠のくようで寂しい。


歳をとる事を受け入れる・・・
抵抗し、現状維持に励んでも、徐々に老化は進んでいく。それはどこか私の持病にも似ている。