クリスマス会

12月16日 外の社会より一足早く病院内でクリスマス会が企画された。フロアホールには椅子が用意され、そこには歩ける患者、サークル利用の患者が座りる。その周りには沢山の車椅子が並んだ。職員のギター伴奏で、ハイ皆さん一緒に歌いましょう。赤鼻のトナカイ・ジングルベル・きよしこの夜・ふるさと・蛍の光。久しぶりに大きな声を出したのはとても気持ちがよかったのだけれど、自分の声がすっかり低くなっているのにびっくり。
私はこの時初めて「蛍の光」の3番、4番の歌詞を知った。
 三 筑紫のきわみ みちのおく 海山遠く へだつとも
   その真心は へだてなく ひとつにつくせ 国のため
 四 千島のおくも 沖縄も 八州のうちの まもりなり
   いたらんくにに いさおしく つとめよわがせ つつがなく
八州(ヤシマ)ってどこだ?こんな言葉に送り出された人々は悲しい。そんな思いの私の隣りで、77才のマダムは胸を打たれ心をふるわせていた。「ワタクシこのような歌詞を初めて知りましたワ。感激致しました。これを知っただけでもこの病院に入院していてよかったワ。」「どなたの作詞、作曲かしら。」「はあ、メロデイはスコットランドの民謡からですね。」どうしてこの人はこんなに感動しているのだろう。後日、その疑問は解決した。マダムの出身地は北海道、女子専門学校で勉強するために上京する。戦時色の濃い時代だったんだろう、勉学の前に陸軍被服厰の強制労働が待っていた。この時代の少女達は強制労働なんて思いもしない。「兵隊さんのために軍服を造っていました。」私は初めて軍国少女に出会った。彼女は純真な年頃であるだけ真心を込めて、ひたすらお国のために尽くしてきた、その時の実感が、この歌詞を聞いてあらためて思い起こされたのかもしれない。
クリスマス会はその後、赤い長ハッピを着た「リハ連」による今様ソーラン節、職員が用意し患者達への贈り物(巾着袋・状差し・マフラー等)をプレゼントされ終了した。