生きること

病気の宣告を受けた当初、驚きと無知で空白だった頭の中も、本を読んだり、ネットを調べていると、自分の置かれている状況に改めて戸惑いを感じた。当面、命にはさしさわりはないと云う医師の言葉も、人ごとの様に思え、確実に人生の終末に向けて歩き出したんだ、と云う気分にとらわれた。こんな生殺しの状態に置かれるぐらいだったら、いっそ余命数ヶ月と云われた方が、どれほどに楽だろうか。ちっぽけな脳みそは思考能力の限界をきたし、その仕事を放棄した。
行き場のない暗闇の中で、伝わってきたもの、それは沢山の生命感。もし今の貴方が、立つことも、歩く事も出来ないとしたら? 目が見えなかったら? 私などよりも、もっと厳しい辛い状況に生きている人が、ネットやテレビから、逞しく生きている息吹を伝えてくる。
彼等のエネルギーはどこから生まれてくるのだろうか。どうしたらあのように達観して生きられるのだろうか。励まされると同時に、私の中からは、頑張るのはもうお休みしたいよと囁く声がする。
その時々の感情の有様、それは、時には意気軒昂として、時には打ち負かされた状態の中で、『生きる』ことに対して、さまざまな思いを私の心に運んでくる。
偶然この年まで生きながらえ、まるで石につまずいた様に偶然に、難しい病気に出会ってしまった。あきらめ、事実を受け入れた時、偶然は必然に変わった。私の今の姿は必然、自然の流れの中で生かされている。現実をこう認識したのは、僅かに、暗闇の中からはい出してきているからだろうか。いずれかの道を選ぶ事が出来る訳でもなく、努力して道を変える事も出来ない。刹那的に、今を生きる。
今を如何に生きるか、か。