言い訳

病気知らずの元気印だった時だって、ウツウツとして気分の乗らない日が続くこともあった。そんな時、心躍る予期せぬ事に出会えば、単純な私の心はスッキリと修復された。
冷たい風が通り過ぎていく川沿いの路で、白鷺に目を奪われたり、図書館の書架に隠れていた本を見つけ出したり、店先に置かれた品に気をひかれたり、そんな些細な出来事が私を癒してくれる。
だから気落ちした時には、意図的に動き回り、気分を高揚させてきた。こんな、生きていく為の私なりの智慧も、今ではお役御免になってしまった。
思う様に動けない身体を、なだめすかし、叱咤激励して生活していると、時には、穏やかな安らぎを求め、思考を停止し、動くこともなく、空白の中にじっと身を沈めてみたくなる。それは魅力的な魔の刻、心地よく私を包み込む。空白は悪しきものを吸い込み終わると、私をも飲み込もうとする。
気落ちの症状は、思いもかけないところから生まれてくるようだ。自分を失っておろおろする前に、姿勢を正して、もう少し上手な生き方をしたいよね。
本当は、ぐうたらの怠け者に過ぎないのかもしれないなぁと、頭を下げてもいるのだけれど、しっかり生きたいよと心の底でも叫んでる。うだうだと今の私の状況を分析すると、目の前に細い路が開けてくる。


簡単に言えば、私はただ今、誠にのんびりとした日々を送っているとゆうことです。