交通事故

日本人の平均寿命は女性の方が大きく上回っているのを反映してか、私がいた部屋の10人中6人が夫に先立たれていた。交通事故に遭い,術後のリハビリに入院してきた2人も今は一人住まいである。そのうちの一人80歳代半ばのハッスルおばあちゃんは,未だに眼鏡をかける事無く書類を読む。彼女はボランテアでミシンで小もの作りをしているという。「作業所に行って皆とおしゃべりしながら作るのよ,楽しいね。」その日も作業所に向かう途中,交番の真ん前の交差点で、青信号を渡っている途中に軽自動車が曲がってきて彼女にぶつかった。彼女は踵をつぶし、手術をしたがまだ完治はしていない。けれども補助具を付ければ杖歩行を許可されていた。「今日は一階から三階まで上がってきた。」嬉しそうに得々と話す姿は逞しく生き抜いてきた彼女の人生を彷彿させる。戦後間もなく彼女と2人の子供を残してご主人は亡くなった。彼女は自分の実家に帰り母親の元で子供を育てる。後々こちらの方に移ってきて,下請けで何かを作っていたようだ。納品には大きな荷物を背負って電車に乗って行ったと言っていた。そうやって彼女は二人の子供を育てた。その一人はもう亡くなっている。彼女の入退院に優しく世話をしていたのは,しっかりとした孫であった。耳だけがいささか年を取っているようで、会話がちぐはぐになる事もあるのだが、マダムのプライベートトークを聞かされたのか,あるとき私にポツンと言った。「あの人社長だってねエ,アタシも社長だった。」半世紀以上自立して生きてきた女のプライドは高い。ケアマネージャーの「自宅に帰ったらデイケア、ヘルパーを利用して・・・」とのアドバイスも面白くなさそうに聞いている。彼女は何でも一人でやってきたんだ。
 もう一人は,70歳前半のウオーキングママ、彼女も青信号を渡り終えそうなところで曲がってきた自動車にはねられた。「驚いて,恥ずかしくて急いで歩道の端に移動したの。」その時は動けたようだ。ドライバーの声かけにも「平気です。」と答えた。が通りすがりの男性に「立ってみてごらん。」と言われ試したらもうその時は痛みで立てなかった。大腿骨骨折、すぐに病院に運ばれ手術。歩く事が大好きで「歩こう会」に参加していた。早く元通りに歩き回りたいという気持ちは、リハビリ病院での一時一時を元気な分だけ大事にしていた。