心配し過ぎ

部屋の中で、耳をそばだて、秋を待っていると、夜半はもとより、朝夕の窓の外は、とうとうセミの鳴き声から、秋の虫の音に変わりました。春のうぐいすの様に、鳴き始めは羽の擦り合わせの要領がまだ悪いようで、いきおいもなく、たどたどしい。始めは、私のリハビリの足上げリズムと重なっていた虫の音も、今朝は力強くなってきていて、もう私には共鳴する事は出来ません。
先週末3日間ほど、左耳の後ろから肩にかけての首筋が痛く、ひどい時は寝入りばなの小一時間、左後頭部がズキンズキンと痛み、今まで頭痛とはあまり縁がないだけに、持病のせいなのか、それとも他の病気の前触れかしらと、不安と苛立ちに眉間にしわが寄ってしまっていたようです。
寝違えた訳でも無し、首の運動は、注意深く穏やかにしているつもりなので、原因が考えられません。強いてこじつければ、ぎこちない身体の動きが、首を固まらせてしまったかな? 磁気バンを貼ったり、揉んだり、暖かいシャワーを当てたせいか、強い痛みは消えて、今は軽い肩こりが残るだけになりました。こり性の人の肩の固さと比べたら、大した事でもないものを、ぐたぐたと愚痴るなんて、私は贅沢かもしれませんね。
年を重ねれば、どこかに具合の悪いところが出てきても当たり前なのに、あまりに神経質になり過ぎて、些細な事にも気を引かれてしまうのは、どうも気に入りません。もう使い古した細胞が少しくらい音を上げたって、おたおたする事ないじゃあない。